最終日の更新が遅くなってすみません。
サ終の直前は無理に生活リズムを破壊して長時間起きていたりしたので、身体と精神の両方のダメージでしばらくぐったりしていました。 待っていた方にはご心配をおかけしました。 生きています。
最後のお掃除 称号集めの終着点
昨日やり残した、クラフト系の称号を最後に片付けた。
B-ニワトリを数百個クラフト・限界突破して、獲得した称号は3つ。
B-イマジン1,000回クラフトの称号『もっと強く……』

+5装備1,000個作成の称号『至高の職人技』

B-イマジン1,000回限界突破の称号『君とどこまでも』

「限界突破を行う」、「+5の装備品を作る」という文言から一体どれだけの素材が必要なんだと思ってしまうけど、実は+5の装備を限界突破(本来はアビリティや特効を上書きするためのシステム、成功率100%)するだけでも「限界突破をして」「+5の装備品を作った」扱いになる。
つまり、B-ニワトリ+5に意味も無く1,000回B-ニワトリを重ねれば、それで『君とどこまでも』や『至高の職人技』は獲得できる。
しかし昨日のE-イマジンクラフトの話と同じで「これなら1万回も簡単じゃ~ん」とはならない。
1回の限突で約10秒掛かるので、1分で6回、100分で600回。
あと9,000回ともなると1500分=25時間もポチポチし続ける必要がある。 限突素材をクラフトするにも軽く10時間以上掛かる。
素材と時間さえあれば獲得できるとはいえ、やはりこれらの1万回称号を獲得するのは簡単ではない。
というか、○○系エネミー1万体討伐の方がはるかに簡単だよね。 1,000回で妥協する他ない。
『至高の職人技』は武器とE-イマジンでも進行していたので獲得が早くて、私が最後に獲得した称号は『君とどこまでも』だった。
うっ。 全く意図してなかったんですが、これは……ッ!
“君”をフェステと解釈するか、ジズベルちゃんと解釈するか、登山フレンドさんと解釈するか……うわ、涙出てきた。
なんで最後に獲得した称号に持っていかれてるんだ。
ともかくこれにて称号集めは終わり!
最終的に私のアチーブメント総達成数は815となりました。

もう一つ取れなくもなかったけれど、本当に最後の最後まで称号漬けは違うなぁってことで、そちらは放棄した。
ちなみに、このカードは最後の最後、サーバークローズの直前に撮影したもの。
撮影の10秒後には通信が途絶えていた。
アチーブメント数についてはアステルリーズのゾーン全域で815より多い人の情報を募ったりしてみたけど、一切そうした情報は届かなかったので、やはりアチーブメント数最多の座は私が射止めたと見てよさそう。
まぁVAソロ盾斧弦をはじめとして、私が達成できなくても他に達成できた人がいっぱい居るようなアチーブメントは沢山あるので、本当にただ数が多いだけなんですけどね。
今月になるまではアチーブメント数最多なんて全く眼中になかったのだけど、「狙えるかも」と思い始めてからはそこそこ意識していたので、実際にそれを達成できてよかった。 これまでの頑張りは報われた。
どうしてこんなにアチーブメントを集めまくっていたのかと改めて考えてみると、恐らく事の発端は『貝を集めし邪教徒討滅者』を頑張って獲得したせいだと思う。
それ以前にも取れる称号は取っておこうとは思っていたけど、『貝を集めし邪教徒討滅者』は、そのためだけに行動しなければ取れない称号だった。 それも、かなりの時間が掛かる。
さらに『雪化粧の獣討滅者』や『キャプテンウリボ討滅者』にも時間を掛けていて、おまけに私はサ開から触っていた都合でTA、SA、レイド、EXラッシュ、月イベのような期間限定称号も一通り持っていた。
イベントでだけ討滅者を取ってそれっきりって、気持ち悪いじゃん? なら討滅者は全て集めたいね? 討滅者を揃えたら相当な数になるね? 初日からやっててTASAの金称号も皆勤賞だから、総数で見ても非常に有利なはずだね?
……みたいな思考が無意識に働いたんだと思う。 最多を狙える下地が整っていた。
その時楽しかったならそれでいいじゃん、というのも一つの考え方としてあるのは承知の上で、それでは立ち止まれないくらいには私はブルプロに入れ込んでいた。
まぁ要は、せっかく時間の掛かる称号を取ったのだから、それが自分の中で報われる形にしたかったんだ。
称号はやりこみ要素の最たるものであり、やるなら中途半端は嫌だった。
特にサドンデスとレイドの周回を始めた11月以降はハードだったけど、これなら「頑張って良かった」と思える。
私のブルプロ終活は満足できる結果に終わった。 疲れた~。
世間では「登山の人」で通ってるらしいんですが!
アチーブメント数において、ブルプロを誰よりもやりこんだプレイヤーは私だ!!! さいきょう!
よく頑張りました。 完。
マップ巡り
最後ということで、各マップをほんの短時間ずつ回っていくことにした。
とその前に、一つ行っておきたかった場所へ。
地下神殿の小部屋
もう多くの方が知ってると思うんですが、バレーことスプラッシュビーチの専用マップは、ザムザで簡単に壁の外に出られる。
そしてスプラッシュビーチは、登山的にはアステルリーズで武器を使える点で画期的な場所だった。
まぁそれ以前にも、シナリオ5章(星霊祭の辺り)のミッションで神殿からアステルリーズに出られた訳ですが、あれよりも遥かにお手軽なのでね。
それで、行きたかった場所というのは、そのシナリオ5章のムービーでのみ登場する、普通なら行く手段がない小部屋。
歌姫のステージの裏で暗躍していた賊を捕らえて、尋問してた部屋。 ここ!

通信周りをいじれば行く手段はずっと前からあったと思うのだけど、その手段では行きたくなかったし。
今回の方法は例のキャラを傾かせる技(身内での通称:ダヴィンチ)を使ったもので、私から直伝したフレンドさんがダヴィンチで侵入できると教えてくれた。 説明も兼ねて、過去を振り返ろう。
神殿と似たエリアであるコイン亭は、建物の中の人が、外からでも見えるよね。 外観と中身が同じ位置にあるから。 でも神殿は違う。 神殿はアステルリーズの頂上に建っているけど、扉にインタラクトして入った先は、その内部ではない。
扉にインタラクトすると地下に隔離された専用の空間にテレポートする設計になっているから、外からだと中に居る人が見えない。
ということは、神殿の内部から脱出すると、そこはアステルリーズの頂上ではなく、地下になっている事を意味する。
この事から、私は「神殿内部の外」を便宜的に「地下神殿」と呼んでいた。
海月灯虫砦を登った229日目にサラッと「この山とは全く別の行きたかった場所にも行けた」と言っていたのが、この地下神殿だった。

229日目は5章実装よりも前なので、普通のアステルリーズから行ってた。
当時船に乗れるとして広まっていた、マウントを海に沈めるとキャラと分離してテレポートできる技。
分離した状態で行き止まりおじさんが居た方に走って、海に続く階段を降りたところで着水直前にテレポートって流れでギリギリ届く。 この方法だと、地下の空中にテレポートして地下神殿の上に着地するって感じ。
そして地下神殿に来ると、少し離れた位置に別の空間が見える。 件の小部屋!
当時は行く手段が無いと思っていたのだけど、多分通信をいじれば行けたんですよねぇ。
というのは、通信が滞るとマウントの乗り降りができなくなるっぽいので、マウントとキャラが分離した状態で通信を一時的に切断すれば、マウントとキャラが離れすぎてもマウントから降りれない=通常では不可能な距離のテレポートも可能になる。 まぁそれでも正確に小部屋にテレポートするのは困難だろうけど……。
私は通信をいじる事をあまり好ましく思っていなかったし、そもそも229日目の時点ではそれに気付いてなかったから、当時は小部屋の中に行く手段は持ち合わせていなかった。
2月末にシナリオ5章が実装されると、ミッションで地下神殿へ行けるようになったので、スキルで小部屋に飛び乗る事には成功した。
しかし当然天井があるので、やはり中に侵入する事はできなかった。

戦闘はフェステに丸投げで探索。
261日目の日記には「予定外の登山が発生してしまって、時間が溶けた」と書いてあるね。

ミッションの場合はバトルエリアを出て、塔になっている部分を登ることで地下神殿へと脱出できた。
この時に地下神殿へ行った人は結構居そう。 でも小部屋には侵入できずじまいだったので、ずっと気になってたんだ。
なんか失敗時の動画しか残ってなかったんですが、当時の動画を置いておきます。
動画の敗因はブースマを出すのが早すぎたのと、ジャンプの向きが悪い事ですね~。
ジャンプでもう少し距離を稼げればなんとか届く。
そして今回。
スプラッシュビーチのアステルリーズで神殿まで行って中に入り、ミッションと同じように外に出て小部屋に飛び移り、その上でダヴィンチを使って逆さまになり、マウント壁抜けの要領で床(天井)を抜けて侵入したという訳です。

特に何があるという訳でもないけど、ムービー専用の空間に来てみたかった、それだけ。
来れてよかった。 教えてくれたフレンドさんに感謝だ。
各地をうろうろ
アステリア平原から順番に各マップを訪れた。
ちょっとだけ見てすぐ次へって時もあれば、10分くらい居座ってたりもした。
いくつかの雑なSSを置いておく。





景色は本当によく作り込まれてるよね。
わざわざ登山なんかしなくても、景色がいい場所はたくさんある。
毎日そういう場所を探してはSSを撮って掲載していたけど、1日1箇所じゃ全然撮り切れなかったなぁ。

レインフォール旧街道の外なんですが、この付近は最初期に探索していて、ここで出会って一緒に登った方とフレンドになったりした思い出の場所。 まだ登山でストライクフォールなどのスキルを使ってなかった、本当に最初期。 登山の初心を思い出せる。
どうしても越えられなかった場所が普通のシールドチャージであっさり突破できたとかね。 私にもそういう時代がありました。

ここなあ。
なんだかんだで登ったことが無かったんですよねえ。
ブルプロ登山界に激震が走ったVer.1.02.000アップデート、シナリオ4章と西バーンハルト半島が実装され、同時にマップ外縁に分厚く高い透明壁が設置されたあの頃。 摩天楼に行きたかったのは勿論だけど、この山も当時はとても登りたかった。
壁が新たに設置されたことで多くの登山家が引退していったけれど、実は仲間内ではアップデートの4日後、137日目には透明壁を登れることに気付いていた。 日記の最後に仄めかしてる。 気付いていたけど、発見直後はノウハウが無くて登るのもひと苦労だし、ハードルが高くなったのは確かだった。
だからこの山は登頂する前にモチベーションが奪われちゃってた。
ああ、当時この景色を見ていたら、とても満足感が得られただろうなあ。
まだ槍を刺せた時代だから、壁さえ越えられれば簡単に登れたはずなんだ。 ザムザよりもずっと楽しかったはずなんだ。
最後の日にこの景色を拝むのはなんだか複雑だった。 こんなに良い景色だったんだね。 もっと早く来ればよかった。

オルデンには583日目にも行ったばかりだけど、まだ回り切れていなかったので、見れてなかった場所を軽く見てきた。

空を見上げた。

本当に行って撮ってきただけって感じだけど。
まだまだ見つけていない、SSが映える場所を見つけたかった。
普段何気なく通り過ぎているような場所にも、すごい画がいっぱい隠れてる。
どれだけ探しても切りがないとは言え、やり残したことの一つだ。
名残り惜しい。 もう探せないんだ。
そうやって駆け回っていたら、ログが流れてきた。
バハマール高原:神の見守る丘で「虚空の浮島・原竜襲来2」が開催中です
虚空の浮島
虚空の浮島。 レイド専用マップ。
探索できる可能性を感じてからずっと探索してみたかった場所だけど、ここのロックウォールは壁だけでなく天井もあるので、一度中に入るとザムザを使っても脱出できない。
つまり、ここを探索するって事は、戦闘に参加せずに報酬を貰う寄生行為に他ならない。 流石にそれはまずい。
クエストなどで個人で行けるミッションがあったらよかったのだけど、残念ながら完全にレイド専用マップなので、寄生しない手段は2つ、「協力者を29人集めて30人の登山家でマッチングする」か「討伐直前で戦闘不能になり救護されずに復活し、外でリザルト画面を見る」しかない。 現実的じゃない。
そういう事情があって、虚空の浮島探索はずっと自重していた。
でも、最後くらいはいいよね。

こうして見ると結構離れてる。
入場してすぐに端っこ(上のSSで陰になっている右の部分)まで走り、アッパーダンス中に衣装を着替えてヤヤッして、合流しながらスラストボルトして、その状態からザムザ、塔の先端に着地。 ……冷静に考えたら雪だるまで良かったね。 レイドは持ち込んだアイテムを使えるんだった。
ザムザは基本的にずっと飛べるけど、レイドをクリアすると落下が始まってしまうっぽい? のとクリアから5分経過で強制的に追い出されるので、デミドラゴンを倒されたらすぐに降下を開始して、着地してからの4分程度だけしか探索の猶予が無い。
撮影してたら4分なんてあっという間。

浮島も塔もちゃーんと判定があって、ここまでは走って登ることができた。

他の場所には行く余裕が無かったけど、時間があれば他の浮島にも行けたと思う。
エリア外から見える景色は新鮮で、綺麗で、もっと色々な場所からも見たいと思わせてくれるものだった。



すごくいいじゃん……。
いくらでもSSが撮れそう。
ところでこのマップって色収差が掛かってるんですよね。 撮り方によってはガッツリ色がブレる。
それがこのマップ独特の雰囲気に一役買ってたのは間違いない。 SS勢はみんな気付いてそう。
ここにある塔はアステリア平原の巨塔とよく似たものだけど、同一ではない。
水色に光っていたりするのが特に分かりやすい違いだね。
どこまで判定があって、どこからがハリボテなのか、確認したかったなあ。
ちょっとでも外に出られてスッキリした。 ここは最後まで未開の地。
そんな感じでマップ巡り終わり!
まだまだ行きたかった場所がたくさんあるけどしょうがない。
最後
マップ巡りを終えたら、ジズベルちゃんが着ていた衣装を軽く撮影していくなどしていた。

それからチムメンで集まって集合写真。

BlueBeyond(チームタグ:BB)メンバー集結!
私は387日目からの参加で、その約2ヶ月後にはサ終宣告があったから、チームでの周回やコンテンツ攻略をできた期間はとても短かった。 9月からは人が減っていったから、私は初めてこの人数で集まってSSを撮った。
それでも墓所周回やチームイベントで遊んでた時期は確かにあったし、彗氷の魔剣士攻略はとても楽しかったし、金狐を拾った時はチムメンさんとPT組んでたし、スプラッシュビーチで盛り上がったし、登山したし、SS撮ったし、お話したし、最後まで一緒だった。
今にして思えば、サ終宣告以降の時間を最後までソロで過ごす自分の姿を想像できない。
最初は馴染めるか心配だったけど、最終的にBBは居場所になってた。
行動は相変わらずソロメインだったけど、サ終に向かいながらもモチベーションを維持できた一因として、チムメンさんとのチャットやDiscordでの繋がりはあったと思う。
約200日という短い期間だったけど、楽しい時間を過ごさせてもらいました。
BBに加入してよかった! ありがとうございました!
集合写真を撮り終えた時点で、既に21:30を過ぎていた。
サーバークローズまで30分も無い!
タワーロックとか雨森とか色々考えたけど、やっぱり最後の瞬間はアステルリーズの開拓局前で迎えることにした。
アステルリーズに着くと、ジズベルちゃんファンの方とパパっと撮影した後、ダンスの円を横目に、まだ一つやり残していた……と言うより、最後だからこそやりたかった事を実行した。



ワ。
認知されていただけでなく、何度か見に来ていたらしい……ホァ~。
てコトゎ、登山モ?



デ、デスヨネ。 シッテタヨネ。
つい最近、年越しの時に下岡EPは船に乗ったばかりだし。
やっぱり把握したうえで黙認してくれていたんですねぇ。
この「把握していた」の程度は推し量ることしかできないけれども、運営の姿勢は私が予想していた姿と大方合致していたようだ。
登山を広く伝え、一般的な遊びとして普及させた張本人として、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げると共に、広い心で受け入れてくださったことに深く感謝申し上げます。 本当に、ありがとうございました。
いやぁ、でも、うん。 最後の最後にキャラクターがひっくり返ったSSが大量発生する状況を作ってしまってごめんなさい。
あんなに大流行するとは思ってなかった。
ともかく、最後に下岡EPから直接答えを貰えてスッキリした。
登山は運営から直接的に言及されないグレーな遊びだったけど、内心では白寄りのグレーだったと。
そして影響度が高い(≒本来のゲーム性を損なう?)内容は看過できなかったってことでもあるので、やはり怪しい技を誰彼構わず拡散する行為は控えて正解でしたね。 技単体での影響は当然のこととして、同時に、悪用しない少人数しか知らないのであれば、実質的な影響は皆無と言えるからね。 技やルートの秘匿は登山の延命に寄与していたと見ていいでしょう。
と言う事で、登山をする時に人目に付かないよう気にしていた人、信用できる人にのみ情報を共有していた人、技やルート等の秘匿を喚起していた人等々、多くの登山家の配慮のおかげで、登山規制はこの程度で済んでいたのだと思います。
思慮深い全ての登山家に感謝を。
下岡EPから返事を貰っていた時は色々な事を考えていて頭がゴチャゴチャしていたのだけど、ふと思い出してランキングボードで自分の記録を全て確認……していたら21:58にクライアントがクラッシュして「おい!!!!!!!」となるも59分には復帰し、すぐにランキングの続きを確認して22:00には完了、最後に冒険者カードのSSを撮って、開拓局前へ。

そこから先のジズベルちゃんが何をしていたのかは私も分かりません。
遅れて円に混ざって、一緒に踊り始めたんだろうなぁ。
……
サービス終了を迎えて
まずはお疲れさまでした。
最後は見慣れた121エラーでの切断だったからすぐには実感が湧かなかったのだけど、フレンドさんから「また明日も登山しようね」って言われて泣いちゃった。 もはや23時くらいまでの1時間、何をしていたのか思い出せない。 ぐちゃぐちゃになってた訳ではないんだけども。
サ終宣告を受けた442日目の少し後には気持ちの整理を付けて、サ終を迎える覚悟はとっくにできていたんだけどね。
覚悟ができていても、いざサ終を迎えるとやっぱりダメージがある。 どういう感情から来ているのかよく分からない涙が出たりした。 今は落ち着いているけど、まだふとしたことで情緒が持っていかれることがある。
さて、この585日間は短いようで、とても長かったように感じている。
無論、退屈で時間が長く感じたなどという意味ではない。 その逆で、私は毎日をとても短く感じていた。
来る日も来る日もやりたいことが尽きなくて、何をしていてもすぐに1日が終わってしまう。
それを繰り返しているうちにアップデートを迎えてしまい、またやりたいことが増えていく。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまったけど、「こんなにも色々な事があったのに、まだ2年すら経っていないのか」と思ってしまう。 それくらい濃密で、思い出に満ちた、長い585日間だった。
落ち着いてるとか嘘じゃん、また涙が出てきた。
585日分の日記をこうして書いてきたんですが、実はサービス開始するまでこんな頻度で更新する気は無かったんですよ。
2日目の日記のタイトルを「2日目、〜〜」としたことで(あれ? 明日は3日目って書くの? 毎日……更新するの……?)と一人で戸惑っていたのを覚えてる。 結局3日目のタイトルも「3日目、〜〜」としたことで退路が塞がり、日記を書く日々が始まった。
私は元々日記を書く習慣なんて無かったので、特に初期は更新するのが大変だった。
大変だったけど、続けていけば慣れるだろうし、せっかく作ったサイトを活かしたかったし、どこまで続けられるか自分を試したかった。
その結果がこれです。
ブルプロでの585日間が全部……全部じゃないね。 このサイトに残ってる。 これは自分を褒めたい。
読んでます~って声を掛けてくれた人達からもいっぱいやる気をもらえました。 ありがとうございました。
登山に関する具体的な情報とか、ランキングに影響するTASAの気付きとか、プレイヤー個人の名前なんかは極力出さないようにしていたから、ある意味一番面白い部分は抜け落ちてる。 これは仕方ないけど……もったいないねぇ。
公にする都合でその辺に配慮していたものの、それでも日記を書いておくと便利だな~と実感することが何度もあった。
情報を共有したい時に「この日に書いてあった」と手軽に投げられるのもそうだし、書きながら現状を整理できるから目標設定もしやすかった。
この後者が有意義だなあと実感できたのは思わぬ収穫だった。 他の場面でも役立ちそう。
自分しか読まない前提の、雑で短い記録でも効果がありそうだと思いました。 おすすめ。
アドベンチャーボード検索機の更新も毎月やってたなあ。
私は必ずあれを更新してからボードを埋め始めるので、地味にアプデ直後の足枷になってたりした。 笑い話ね。
多少時間が取られるタスクではあったのだけど、やっぱり「助かってる」って声を何度も貰ってると苦にならないんですよね~。
誤字報告なんかもありがとうございました。 うちのサイトと言えばボード検索機って人も居たようだし、あれは本当に作ってよかった。
私はアドベンチャーボードを苦に感じない質だけど、NTの前のブルプロ通信で発表された時から不評だったもんね。
個人的には(そ、そんなに……?)と思うくらいにはボードへの風当たりが強かった。
まぁ蓋を開けてみたら、装備を作るならボードを進めるところからって設計になってたし、全プレイヤーにやらせるコンテンツじゃないでしょう、とは思ったけどね。 そんなボード埋めの助けになれてよかったです。
まぁサイトの事はいいんですよ、ブルプロの話だ。
私のブルプロでの生活を振り返るなら、やはり登山は切っても切り離せない。 ボード検索機なんて霞む。
実は2日目の時点でリッツェ交易街道からガレィリッジ廃道のポータルを解放するなどしていたのだけど、何と言っても転機はタワーロックですね~。

最初のアプデを経験してマンネリ化し始めた8月頃、𝕏でもブルプロを心配する声が大きくなっていたと記憶している。 多分みんなやることが無かったんでしょうね。 有志によるユーザーイベント文化が早期に定着したおかげでユザイベ勢は盛り上がっていたけど、交流が苦手な私みたいなタイプはその波に乗れずに居た。 何度か参加してみたけど、馴染めなかったんですよねぇ。
そんな中でタワーロックに挑戦しようとしたら、既に挑戦してる人が居て。
その出会いがタワーロック開拓の、延いては高難易度開拓の始まりだった。
開拓黎明期で特に印象に残っているのはタワーロック、ミンスター最北、雨森アスレチックの3箇所。
中でもタワーロックと雨森アスレチックは紹介した後日(63日目・89日目)には人がいっぱい集まっていて、とても楽しかったなぁ。
雨森アスレチックは救護してるだけでも楽しかった。
当時誰かが言っていたのだけど、居合わせた他人と互いに救護しあって上を目指すというのが、とてもオンラインゲームらしくて良いコミュニケーションの場だったよね。 他人とのゆるい繋がりって意味では自分にとって最高の空間だったかも。
あとこっ恥ずかしいんですが、タワーロックなんかは「登山の聖地」なんて言われたりもしていたらしい。
きっとそれだけ多くの人が登山に触れるきっかけになった場所って事だろうから、これほど誇らしい事はない。
105日目、バベルを登った日にはこんなことを書いてある。
8月頃はプレイヤー間で(このままだとブルプロまずくない…?)みたいな空気が蔓延していたけど、近頃の改善でみんな少しは安心しつつあるよね。
コンテンツ不足の状況に登山というマイナーな遊びを伝えて、少しでもブルプロに楽しみを見出してもらって、ブルプロに繋ぎとめることができてたらいいなぁ、なんて思ったりしてたんですが、多少の効果はあったのかな。 あったらいいなぁ。
初期は登山なんて一部の物好きしかやってなかったと思うのだけど、気付けばカジュアルに遊んでる人達が「今日はみんなでラウェハラのお魚を見に行こう」とか言ってたくらいには普通の遊びになっていたし、きっと少しは効果あったよね。
黎明期以降は……槍刺してたら斧コプターと槍コプターが出てきて修正と同時に規制が始まって、刺さらなくなって、FPSの暴力で槍刺しを代用して、ブートキャンプや盾抜けが出てきて、CAG5やザムザが生まれて……って感じだったかな。 登山の事を書き出すと切りが無いから今はやめておこう。
登山規制が始まってからは透明壁や絶壁との戦いだったけど、技の修正と壁登りのつまらなさを除けば、試行錯誤する過程もなんだかんだ楽しかった。 行けない場所に行く方法を考えるのってロマンだよ。 存在しない技を夢に見たことがあるくらいには頭を使ってた事もある。 楽しかったなあ。
青春と言ってもいいかもしれない。
私にとってブルプロでの登山は、それくらい特別な時間だった。 ありがとうブルプロ。 美しきレグナス。
やっぱりグラフィックが最高なんですよねぇ。 キャラクターも景観も。
スキルのSSもっと撮りたかったよう。 ジズベルちゃんもっと撮りたかったよう。 オフライン版ください!!!!!!!
SSと言えば、SSコンテストで2回も受賞できたことも非常に光栄なことだった。


そして未だに、一番の自信作だった第2回のSSだけ受賞を逃したことに納得してない。

やっぱりこの槍のSSが最高だ。
槍の通常攻撃をこれだけカッコよく撮影した人は他に居ないでしょう!
ついでに関係ないスキルSSも置いておこ。

1周年で一緒に撮影したフレンドさんとは「次のコンテストでは最優秀賞を取ろうね」と約束していた。
でも、次のコンテストなんて無かった。 あまりにも無念。
次はもっとああしたい、なんてことも考えていたくらいには本気だった。そんな夢もサ終宣告があった時点で泡沫と消えてしまったから、サ終宣告のダメージを一層大きくした。
あれから5ヶ月経つのに、今でもこのことを考えるとつらい。
登山であそこ行くの忘れてた〜なんかとは比べ物にならない心残り。 時間があっても、オフライン版があってもどうにもならない……。
HUDありのSSをほぼ撮ってないのも後悔してる。
もっと軽率にSS撮っておけばよかった。
それから……まだメインの戦闘コンテンツに触れてないじゃん。
エンドコンテンツは数少ない「武器を作る理由」だったけど、ライトユーザーが置いてけぼりだったのがなぁ。
TASAは詰めようと思ったらそこそこ奥が深いけど、結局運ゲーに行きつくのが嫌だったし、EXSPソロは期間が短すぎたし、VAソロはただのクソゲーだったし……ソロのエンドコンテンツはどれも人を選ぶものだった……。
でも頑張ってTA虫砦で3位だったのと、EXSPソロもVAソロもクリアして、VAソロでは一応5位だったのは少し自慢してもいいよね。
胸を張って「実力のあるヘヴィスマッシャーです」と言える。 てっぺんを目指すのは山だけで十分だよ。
PTのエンドコンテンツはEXSPも戦神もVAも、ライトユーザーでも楽しめる難易度だった……よね?
初期からあれくらいのコンテンツが欲しかった。 人類は第一印象でものを判断しがちだし。
それと、多分私が登山とSS撮影以外で一番触ってたコンテンツはEXラッシュだと思う。
あまり自覚的ではないけど、EXは23年7月~24年10月まで、毎日ではないけど殆どの日に平均3~4周していたと考えれば、相当な時間触っていた事は間違いない。
EXはね~。 楽しかったですね~!
特に二段と三段は分かりやすく「罰ゲームだ! 死ね!!!」ってペナルティがあったから、遭遇することに期待していた。
私は登山で難所にぶつかるとニヤニヤしていたけど、EX二、三段のペナルティに当たった時もニヤニヤしていた。 レイドで半数くらい戦闘不能になった時なんかも。
当然負ける気は無いのだけど、克服可能な窮地に追い込まれると楽しくなっちゃうんだ。
でもそれを誘発するのはただの迷惑行為だし、不幸な事に、私はギミックを理解している槌だから、私がダストボルテックスで真っ当に立ち回る程にペナルティの発生リスクが大きく下がってしまう、悲しい宿命を背負っていた。
だからペナルティが発生しないように立ち回りながらも、二段で封印されし暴虐が走り出したりすると内心で「いいぞ! どっか行け!!」って思っていた。 そしてすぐ寄せに行く。 面従腹背。
その点、最後のEX五段を殆ど触れなかったのは悔やまれるなぁ。 絶対に面白いのに、ほんの数回しかクリアできなかった。 時間が足りなかった……。
こうして思い返していくと、何もかもやり残したことばかりだ。
あぁでも、金狐と全ナッポ帽をコンプリートできた点は満足度が高い。これは世界で私だけかもしれない。
エンドコンテンツもSSも登山もアチーブメントもなんでも触ってきて、誰よりもブルプロを遊び尽くしたと自負しているけど、まだまだ足りない。
釣りやスプラッシュビーチみたいなミニゲームも、時間があればもっと遊びたかった。
バレーは白熱したなあ。
ガシャとかUIとか酷いところも沢山あったけど、ブルプロは間違いなくこれからどんどん良くなっていく作品だった。
1周年の前と後を知っている人ならみんな同じ意見のはず。 サ終が決まってから急速に面白くなっていった。
開発の「良くしていこう」という意志は、少なくとも最後まで現役だったプレイヤーには確実に伝わってる。
それだけにあと1年の猶予が与えられなかった事が残念でならない。
運営・開発スタッフのみなさん、ありがとうございました。
終わりかあ。
名残り惜しいけど終わりだ。
本当にたくさんの思い出ができた。
フレンドさんやチムメンさんはもちろん、一緒に登山した人も、ライクを送り合った人も、ミッションでマッチングした人も、今すぐパーティで一緒に狩った人も、ネームドを一緒に殴った人も、アステルリーズで一緒に踊った人も、一緒にSSを撮った人も、よく特定の場所に居た人も、よくわからないけどジェスチャーしてくれた人も、ユザイベを開催していた人も、𝕏やコンテストにSSを上げてた人も、このサイトを見に来てくれた人も、みーんな。
ブルプロライフを彩り豊かなものにしてくれた全ての冒険者たちに感謝を。
ありがとうございました!!!
そしてありがとう、ブループロトコル!!!!
あー終わってしまう! ヤヤッ!
◆

これは最終日に撮ったものだけど、撮影したのがスプラッシュビーチなので人が居ない。
開拓局、闘技場、神殿を都合よく映せる場所を探していたら、最初期に登り方が分からず苦戦したここが絶好のポイントだった。
イエロー・ルーフ・マーケットとハンス(プラグおじ)の店も映り込んでいる主要施設欲張りセット。
◆
フレンドさんがジズベルちゃんを描いてくれました!!!!!!!!
この絵はサ終の直前、具体的には下岡EPとのやり取りの最中に投げられたから、当時頭が完全にパンクしていた。
何を隠そう、このフレンドさんこそが、キャラクターを傾けられる事を発見した、その人だ!

アクション中に着替えるって発想は私が出したものだけど、そこから派生したのはフレンドさん。
傾くことに限らず技の研究では多大な功績がある偉人だよ。 古くはマウント騎乗失敗で即死を通過できたのとかね。
それに、私が身内と称していた登山開拓メンバーの中で、最後までブルプロに残った、最後の一人だった。
おかげさまでサ終宣告のあとも楽しく開拓と研究ができた。
こちらこそありがとうね。
◆
今後
サイトについて
このサイトですが、当分は残しておくつもりです。
というか、今のところ消すつもりは無い。
これからSSを整理したりする中でたまに吐き出したくなると思うので、たまーに更新する事もあると思う。
特に登山関連はずっと隠してたからね。 登山に関しては間違いなく何かしら出す。
それ以外はこれで一区切りなので、基本的にはもう止まると思ってください。
プロトコルドットブルーなんて名前でブルプロ以外の情報を発信するつもりも無いし。
ブルプロを思い出したくなった時にでも眺めてやってください。
取り敢えずそんなところかな。
あ、ブルプロの公式サイトは2月18日の15時にクローズされる[1]「BLUE PROTOCOL」サービス終了のお知らせので、SSコンテストのSSとか、過去のアップデート情報とか、ファンキットとか、諸々のデータ収集などはお早めに。
公式YouTubeチャンネルと𝕏アカウントも消えるんだっけ? ソースがどこだったか忘れたけど、多分公式サイトと同日かな。
ジズベルについて
ジズベルちゃんについては、レグナスで生まれた子なので、他の世界に連れていくことは考えていません。
今後もSS等ジズベルちゃんのことは好きにしてくれて大丈夫です。
私個人については、特に移住先も考えていません。
私がジズベルを名乗るのは、ブルプロでだけです。 ……多分。
少なくとも、別の場所でジズベルを名乗ることがあれば、このサイトか𝕏で明言します。
それが無いならなぜか同じ名前の他人か、私に成りすます偽物です。
そういえば私の偽物が現れる事にも少し期待していたけど、現れなかったなあ。
アンチになるタイプの人達の人気は得られなかったようだ。 残念。
それと、中国で開発されているブルプロ《星痕共鸣》を遊ぶつもりもありません。
世間では俗にレッドプロトコルとか呼ばれてるやつ。(中国発・上海宝可拉のブルプロを、日本発・バンナムのブルプロと区別して、共産主義や社会主義を象徴する赤色を当てはめた呼称だと思われる)
私は中国産だからと一口にどうこう言うつもりはないけど、私がブルプロを応援していた理由の一つには「日本企業がアニメ調グラフィックでMMOってジャンルを再興して、牽引してほしかった」というのもあるので、中国産じゃ意味がないんですよね。 韓国産でもアメリカ産でも関係ない。
まぁジズベルちゃんを見たくてキャラを作るくらいはするかもしれないけど。
いずれにせよ、他のゲームで会う機会はあんまりないかもしれない。
今もジズベルちゃんはどこかの高所を目指して旅をしている。
それではこの辺で。
貴公らの旅に、幸運があらんことを。
References
↑1 | 「BLUE PROTOCOL」サービス終了のお知らせ |
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